出展者紹介・・・市野雅彦

March 20, 2016

 

 

 

去年秋に工房の内装をさせていただいた関係で色々仕事を見せていただき
また、兵庫陶芸美術館で見せていただいた展覧会をきっかけに声をかけさせていただいた市野雅彦さんに丹波立杭焼と自身の制作のことについて聞いてみました。
以前、こんな文章を書いたので参考にと送っていただいたものをご紹介します。

私より10歳くらい年上なんですが、好きなことにまっすぐで少年のような方です。
色々開拓してきた作り手は、考え込むよりもまず動いてしまう、つくってしまうっていうのが特徴のようです。
今回は、2tユニックで大きな作品を森の中に搬入してくれるようです。
しかも、ビシッと1点!

 

 

 

私が生まれ育った丹波焼の里は800年以上も続く窯業地で、立杭の集落は約70軒あるうち40軒くらいが陶芸をやっています。父方も母方も代々続く窯元で す。だから、小さい頃から陶芸が身近なものではありましたね。私は二人兄弟で、家は兄が跡を継ぎました。次男なので陶芸はやらんでもいいよ、と言われてい たんですが、こういう環境の中で育ったからか、自然と陶芸をするようになったような気がします。
京都に行って大学の陶芸科に入ったのも、先に兄が家を出て、京都で陶芸を学びながら楽しそうに大学生活を送っていたからでした。本当に軽い気持ちからでし たね(笑)。それで、いよいよ卒業という時に、さあどうしようかなあと。そこで、あこがれだった今井政之先生のところに弟子入りしたんです。今井先生はオ リジナリティのある陶芸をやっておられたんです。
それで、今井先生のところで5年、その後丹波に帰って父のもとで2年修業し、実家から少し離れたところに工房を構え、独立しました。これも自然の流れだっ たような気がします。丹波に帰るというのは、生まれ育った町だし、丹波が好きだったので、そこに迷いはなかったですね。
丹波は六古窯の一つで平安時代からやきものを作っていますが、他の古窯のような適した粘土が大量にあるわけではないんです。例えば備前の土は焼くと水が漏 れたりはしませんが、丹波の土はそのままでは水が漏るんです。江戸時代には水が漏れないように塗ったドベが窯の中で真っ赤に発色したやきものを赤ドベと呼 ぶのです。この赤ドベを再現しようと十数年前より試行錯誤しながら、ようやく最近、赤ドベの色がでるようになりました。
形は、自然界や身の回りにあるものから生まれてきます。もう一つは生まれてきたものをずっと作り続けていくことで、進化してできた形です。例えば、紙袋を 置いたときの形を陶器で一つ作ったとしたら、次はその形をこうしてみよう、とまた一つ完成させる。そしてまた次を作ってみる、とずっとつながっていって、 形が変わっていくんです。陶芸家が皆そうなのかわかりませんけど、私の場合、ぼんやりといろんなイメージと形があって、作っている間に瞬間瞬間でこういう 形にしてみようと、途中で変わっていくんです。きっちり形を決めてというよりは、イメージだけあって、その中で形は自由に変化していくんです。
今は、丹波の土も自然も、私の周りには夢中になるものが一杯でわくわくしますね。あれこれ迷うことなく無心になって作っています。今は作ることが楽しくて仕方ないですね。
丹波焼。それは焼き締めが原風景ならば、赤ドベは未来に向かう姿。初心に回帰しながらとどまることなく常に新しいものに挑戦し続ける。それが“『MY STYLE. MY TAMBA. Now and then.』

 

 

 

 

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